シリアスな役から爽やかな好青年役、ヤンキー役までマルチな演技力を発揮する俳優・間宮祥太朗さん。
そんな才能に溢れた間宮祥太朗さんは「祖父に育ててもらってなかったら、今ここにいない」と語っていたことがあります。
どうやら間宮祥太朗さんはお祖父さんから多くを学び、今の芸能界でその生き方が染み付いているようです。
今回はそんな間宮祥太朗さんの祖父についてリサーチしてみました。一体どんな人物なのでしょうか?
間宮祥太朗の祖父の職業は貿易関係で会社はどこ?
間宮祥太朗さんはこれまでTVやインタビューで、人生において祖父から影響多く受けていることを語っています。
幼少期から孫の間宮祥太朗さんを毎年2回、1ヶ月ほど海外に連れていき、10カ国以上共に旅をしたそうです。
海外の旅はいわゆる観光地を巡る旅行ではなく、真っ直ぐな道をただひたすらに歩き体力の限界がきたら次のモーテル(宿泊施設)に泊まるといったアグレッシブな旅だったそうです。
この話だけで間宮祥太朗さんのお祖父さんが一見凄そうなことは分かるのですが、仕事やその素性についてはこれまであまり明かされていませんでした。
そんな間宮祥太朗さんのお祖父さんが、貿易関係に勤めていた方だということが分かりました。
祖父が貿易関係の仕事をしていたので、子供のころから海外の国々に連れて行ってもらいました。たぶん孫に広い世界を見させてやろうと思ったんじゃないでしょうか。
出典:Precious.jp
貿易関係の仕事、というと総合商社にお勤めだったのでしょうか?
間宮祥太朗さんのお祖父さんは現在会社を退職されている可能性が高く、勤めていた会社名を特定することは出来ませんでした。
祖父は高給取りだった可能性が高い
貿易関係の仕事というと、通関士のような国家資格が必要な仕事もあります。
しかし貿易事務や通関士などの事務手続き関係のお仕事は相場よりやや高いくらいのお給料です。
間宮祥太朗さんのお祖父さんはもっと給与の高いお仕事をされていた可能性が高そうです。
その理由は以下にあります。
- 間宮祥太朗さんを3歳の時から毎年2回海外旅行連れて行っていた
- 5歳の時には世界一周旅行にも連れて行った
- オーストラリアで車を運転していた
- 海外を飛び回り、中国語と英語を流暢に話せる
そもそもお孫さんを毎年2回も海外に連れていっている時点で、一般的なご家庭の環境問は大きく違っていますよね。
また間宮祥太朗さんの話によると5歳の時には世界一周旅行にも連れて行ってくれたそうなので、かなりの高給取りだったと思われます。
とてもお金のかかることだけど、とても貴重な経験だよね
また、お祖父さんはオーストラリアで車を運転していたことが過去の間宮祥太朗さんのインタビューから明らかにされています。
オーストラリアという国は、正式な運転免許取得までは最低でもおおよそ3年かかります。
仮免許は期限が5年有効なので使用していたことも考えられますが、間宮祥太朗さんのお話ではレンタカーを借りて国内を駆け回る旅をしていたそうなので仮免許では不可能です。
つまり普段から海外で車を運転出来る状態にある生活・仕事をされていたことになります。
普段から車を運転するほど海外を飛び回り、かつ英語も堪能だったお祖父さん。
間宮祥太朗さんのお祖父さんのお仕事は商社マンの海外営業だった可能性は充分にあると言えそうです。
間宮祥太朗の祖父は現在どうしているの?
非常にパワフルで快活なお祖父さんのようですが、現在はどうしているのでしょうか?
結論から述べると、2019年までご存命なのは明らかで、体力に不安が残る状態(年齢?)にあったことが分かります。
間宮祥太朗さんは2019年6月放送の『アナザースカイII』で祖父の体力について話している場面があります。
「アフリカに連れて行って、それを最後にするようなことを言っていたんですが、『体力的にアフリカで何かあっても祥太朗のことを守れない』と断念した、じいちゃんの雪辱の地です」という。
出典:Another sky
この「体力的に守れない」という発言は年齢的なものから来ているのではないでしょうか?
間宮祥太朗さんのお祖父さんの年齢は明らかではありませんが、やはり孫に何かあった時に助けるのが難しい年齢だったと考えるのが一般的かと思います。
また当番組は間宮祥太朗さんのお祖父さんに直接インタビューも行っていました。
番組から孫である間宮祥太朗さんに「海外で何を感じてほしかったか?」と聞かれ、
「将来どのような道に進んでも日本は必ず海外との接触無くして成長なしと確信していたので、本人がどんな環境でも同化して成長、チャレンジする人間となる意欲を持てるような感性を培ってほしかった」
出典:Another sky
と回答していました。
つまり2019年まではご存命で、体力に不安が残る状態にあったことが分かります。
「アフリカが一番の(旅の)ラスボスみたいな。祖父と一緒に終着点に来れなかったから、存命のうちにその姿を見せられるというのは、本当によかったなって気がします」
出典:Another sky
また間宮祥太朗さん自身も祖父が生きているうちに雪辱の地であるアフリカに行った自身の姿をTVを通じて祖父に観てもらえたことに感嘆の声をあげています。
もしかしたら年齢的にもお別れが近いと思っていたのかも
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は間宮祥太朗さんの祖父についてリサーチしてみました。
- 間宮祥太朗さんの祖父は貿易関係の仕事に従事していた
- 間宮祥太朗さんが小さい頃から10カ国以上の国に連れていってくれた
- オーストラリアで車の運転をして一緒に旅をした
- 状況から見て貿易関係の商社マンだった可能性が高い
- 2019年まではご存命で体力に不安が残る年齢だった
最後までご覧いただきありがとうございました!